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リストマーク 瓦を割る。 

2007年05月08日 ()
例えば、瓦を割ろうとしたときに、
一番手前にある瓦を割ろうとしてもきっと全部は割れない。


一番奥の瓦を、もしかしたらそのさらに奥にあるくらいの
瓦のイメージを割ることができれば、きっと全て割れる。


という話を読んだ。
そうは言うものの、僕には瓦を割ることはできない。なぜか。


鍛えていない僕の腕はこの通りやせっぽちだが、
それが理由の本質なんじゃない。


一番奥の瓦を割るというイメージの力が最大の爆発を起こす前に、
「腕力がないから」とか、「失敗したら痛い」とか、そういうことが
頭をひゅんひゅんよぎって、イメージが途中で邪魔されてしまうからだ。


歌を歌い始めて、このイメージするということが持つ力、
つまり「想像力」をとても強く感じる。想像力が最大限になるとき、
実際外に出てきて感じられる力、つまり「創造力」も 無意識のうちに
最大限に発揮することができると思う。


僕には瓦を割ることはできない。でも、歌は歌える。なぜか。


細い腕と同じように、まだ十分に鍛えられてない歌であったとしても、
歌の持つ根源的な力というのは、上手く歌うということではないということを、
愛してる音楽から既に学んでいるから。


そして、瓦割りの場合とは違って、もしも失敗したとしても、肉体的に痛い
なんてこともない訳で、そう考えると、別に何も恐がる必要なんてないから。


その状態で一番強くイメージする。
もともとそこら中に響いてる音があったとして、それがただ
自分の体を通ったとき、声となって歌となって、
どこまでも響くように。


歌に乗せてイメージする。
その響いた歌が誰かの耳まで届くときのこと。
そして、聴いた人の中で、未知への可能性が少しでも開けるような変化を
その歌がもたらすかもしれないということを。


その小さな可能性がもっと膨らむようにイメージする。
もしも、それぞれが自分自身の中に無限の可能性の広がりを感じられたら、
世界が今までとはちょっとだけ変わるかもしれないということを。


そうしたら、僕は一人で歌ってるときでも、
一人で歌ってるような気がしない。


そういう風に歌えたときの歌は、自分の体をゆうに超えて、
自分だけの力じゃないみたいに、本当に大きなものに
後押しされている感じがする。


この感触が、いつどこにいるときでも、そばにあって欲しい。
もしも、いつもこんな風に歌えるようになれたら。


僕の世界も、外の世界も、本当の本当に、
そのうち気づかない程度に変わってしまうかも知れない。


全ての瓦が割れるときみたく。
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[2007.05.08(Tue) 20:50] 言葉Trackback(0) | Comments(0)
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